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2019 05.03
お風呂あらかると 福沢諭吉湯~『入浴福祉新聞 第6号』より~

『入浴福祉新聞 第6号』(昭和59(1984)年3月1日発行)より

過去の入浴福祉新聞に掲載された記事をご紹介します。

発行当時の入浴や福祉等の状況を少しでもお届けできたら幸いです。

 

 

お風呂あらかると 福沢諭吉湯

 

慶応の創立者で近代日本の大才覚者だった福沢諭吉は、明治の初め、義塾の前の三田通りで銭湯をサイドビジネスにしていた。「天は人の上に人をつくらず」で有名な『学問のすすめ』の続編“人は人の上に乗り人をつくる”といった“女体学のすすめ”を番台で著そうとしたわけではむろんない。

 

「お風呂に入れば、士族も平民もみなスッポンポンの丸裸。これぞ人間や職業に貴賤がない証拠であるぞよ」と自由平等の民権論をわかりやすく説明したかったのであり、学生や世間に己の哲学を実践で示そうとしたわけだ。

 

 

ところが、簿記を日本で初めて教えたくらいの経理マンであり、今年から一万円のお札にもなる先生経営の“福沢諭吉”の客は塾生ばかりで、さっぱり繁盛しなかったらしい。

 

 

なぜか?

 

 

義塾の医学生を中心に、洋書から学びとった「熱い湯は身体に悪い」との保健衛生思想が浸透していて“諭吉湯”は当時からヌル湯だったからだ。

熱いのが風呂と思っていた江戸っ子の三田近辺の人たちには「あんなのは風呂じゃない」とすこぶる評判が悪く、学生以外はさっぱり来てくれなかったと伝えられている。

 

低温主義の“諭吉湯”と関係するのか、慶応医学部は私学では珍しく入浴医学が盛んな時代があり、かなりの成果をあげたことでも知られている。ヌル湯時代の今日をみると、明治に生きた才覚者に頭が下がる。

(久)

 

 

 

※発行当時の原稿のまま掲載しております。何卒ご了承の程お願い申し上げます。

 

 

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