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2019 03.22
入浴の歴史ものがたり⑬~『入浴福祉新聞 第37号』より~

 

入浴福祉新聞 第37号』(平成3(1991)年10月1日発行)より

過去の入浴福祉新聞に掲載された記事をご紹介します。

発行当時の入浴や福祉等の状況を少しでもお届けできたら幸いです。

 

 

入浴の歴史ものがたり⑬

立井 宗興

 

 

「封建制は親のカタキでござる」と、自由平等を唱えた福沢諭吉は、銭湯の光景を好んでいたようだ。

「同じ代金を払って、スッポンポンになれば、みんな同じ。“天は人の上に人を造らず”のいい証拠だ」

というわけである。

 

その福沢は、東京・三田通りで実際銭湯を経営していた。

経営といっても、営業は他人に任せ、家賃や売り上げの一部をその人から徴収するものであった。

 

しかし、その銭湯は当時としてはかなりヌルク、町の人たちからは不評。

営業者は四苦八苦で、家賃や売り上げの一部を、福沢に滞納することがしばしばだった。

それでも福沢は、厳しく催促したというから、「権利と義務」の意識も先人だったのだろう。

 

では、なぜその銭湯がヌル湯だったのか。

どうやらそこを利用していた慶応の医学生が、入浴生理学も学んでいて、適温をよく知っていたためらしい。

 

三田の福沢の自宅は、当時の大家族らしからず、浴室が1つだった。

主人一族が入浴したあと、奉公人も同じ浴槽を使った。

といっても女中たちだけで、書生ら男の方行員は、銭湯である。

なぜ、書生らは福沢家の内風呂を使えなかったのか。よく解っていない。

 

 

 

※発行当時の原稿のまま掲載しております。何卒ご了承の程お願い申し上げます。

 

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その18 福沢諭吉と銭湯

 

 

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