2017
05.26
その18 福沢諭吉と銭湯
慶應義塾の創設者である福沢諭吉。
彼が明治時代初期に東京都の三田で銭湯の大家をしていたことをご存じでしょうか?
諭吉の銭湯はあまり繁盛しなかったと言われております。
それは、当時では珍しいぬる湯の銭湯だったからのようです。
慶応義塾の医学生を中心とした一部の塾生には、「熱い湯はからだに悪い」といった考えが浸透していたので、塾生は諭吉の銭湯を利用していました。しかし、一般客には「熱いお湯に涼しい顔して入るのが江戸っ子の心意気」という考えが根強く、ぬる湯の銭湯はあまり受け入れられなかったようです。
福沢諭吉は、銭湯を経営した経験から「私権論」という本を出します。
その中には銭湯を例に挙げ、自由平等を説く一節があり、このように著されております。
銭湯に入る者は、士族であろうが、平民であろうが、
みんな等しく湯銭を払い、身辺に一物なく丸裸である。
銭湯の入浴には、なんら上下の区別鳴く平等であり、
かってにはいっても、出ても自由である。
後世にまで伝えられた『学問のすゝめ』の、“天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず”という
画期的な思想は、銭湯の経営経験から生まれたのかもしれません。
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