『入浴福祉新聞 第74号』(平成13(2001)年1月1日発行)より
過去の入浴福祉新聞に掲載された記事をご紹介します。
発行当時の入浴や福祉等の状況を少しでもお届けできたら幸いです。
ヘルスセンター…サウナ…クアハウス…健康ランド…そしてスーパー銭湯
〔街の銭湯〕が苦戦のなか〔規制のないその他の公衆浴場〕は根強い人気
皆さまも、〔スーパー銭湯〕という言葉を聞いたことがあるかと思います。内風呂の普及で従来型の銭湯が苦戦を強いられ、次々と廃業しているなかで、1989年に名古屋で誕生したこの〔スーパー銭湯〕が人気を博し、各地に続々と登場。すでに全国で150店を突破したといわれているほどです。
料金は、従来型の銭湯と同じくらいか、高くても800円程度。しかも、建物も内装も洒落ていて…サウナ…泡風呂…露天風呂…打たせ湯…海水風呂…庭園風呂…ハーブ浴槽…薬湯…低周波電気風呂…など、それぞれが趣向をこらした多種類の浴槽があり…食事もできたり、ゆっくり休める休憩ルームや美容室があったり…駐車場もかなり広い…といった造りですから、近くで温泉気分を味わいたい、という人にはたまらない魅力になっているのです。
東京の銭湯でも1日平均160名の来客に落ち込んでいるのに対し、〔スーパー銭湯〕のなかには1日500人以上、休日には数千人が押しかけるところも珍しくないそうです。
興味深いのは、従来型の〔街の銭湯〕は、公衆浴場のなかでも、〔一般公衆浴場〕として、都道府県ごとに入浴料金の上限や、隣接浴場との距離すなわち適正配置が強制させられるのに対して、〔スーパー銭湯〕は〔その他の公衆浴場=特殊公衆浴場〕の部類にされていることです。
前者は規制がきつい反面、上下水道の料金や融資などの特典があり、後者は規制がないかわりに、公的な優遇措置はありません。しかし、公的な援助がなくても、消費者のニーズをしっかりと受け止めて施設とサービスを提供すれば、ニュービジネスは成功することも、スーパー銭湯は証明しています。
この〔その他の公衆浴場〕の戦後史を垣間見ますと、日本人がいかに入浴に対して、並々ならぬ関心をいだいてきたかがわかります。
昭和30年に『船橋ヘルスセンター』がオープンし、〔ヘルスセンター〕ブームが起こりました。これは、大浴場と食事とショーが売り物で、宴会浴場ともいえます。
次いで昭和40年代には、〔サウナ風呂〕が急増します。高度経済成長のなかで、猛烈に働くサラリーマンの間で人気が沸騰しました。
昭和60年代には、ヨーロッパの温泉療養と日本型湯治をミックスした温泉利用型健康増進施設〔クアハウス〕が登場し、都市には、ヘルスセンターとは違った雰囲気の〔健康ランド〕とも、女性に圧倒的な支持を得た点が、〔ヘルスセンター〕や〔サウナ風呂〕が普及した時代とは異なる点も注目したいところです。女性の支持なくしてビジネスは成立しなくなった、ともいえるのでしょう。
こうしたs年後に誕生した〔その他の浴場〕の施設数ですが、全国に〔ヘルスセンター〕は約700、〔サウナ風呂〕は約1600、〔クアハウス〕約40、〔健康ランド〕約300、といった具合で、総計2640施設に達するのです。これに、〔スーパー銭湯〕の約150を加えますと、3000弱の〔その他の公衆浴場〕があるのです。
内風呂の普及で、街の銭湯は1968年の全国17642軒をピークに減少を続け、現在では6500軒になりましたが、ドッコイ、〔その他の公衆浴場〕が増加してきたというわけです。
そもそも〔スーパー銭湯〕は、名古屋のパチンコ店経営者のアイディア。サービス産業のトップを走る。パチンコ業界からの参入という点も何かを教えられますし、また〔スーパー銭湯〕を規模的にも凌ぎ、癒しと遊び性を高めた〔スーパースーパー銭湯〕も、先発の大阪から全国に普及する勢いになってきました。
〔その他の公衆浴場〕は、まさに自由競争の世界。アイディアを込めれば、入浴サービス業は、まだまだ楽しく発展するはず。いまさらながら、日本人のお風呂好きを痛感させられる現象です。
※発行当時の原稿のまま掲載しております。何卒ご了承の程お願い申し上げます。
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