『入浴福祉新聞 第41号』(平成4(1992)年10月1日発行)より
過去の入浴福祉新聞に掲載された記事をご紹介します。
発行当時の入浴や福祉等の状況を少しでもお届けできたら幸いです。
入浴の歴史ものがたり⑰
立井 宗興
「敗戦国の奇跡」とまでいわれた昭和3、40年代の日本の高度経済成長は、内風呂の加速度的普及をももたらしている。
昭和40年代はじめに総理府が調査したところでは、内風呂がある家庭は全国の68%近くに達したのだ。
当然、当時から住宅の狭さを宿命的に負っていた都市部では、浴室は作りにくく、7大都市の内風呂普及率はわずか45%、そのほかの都市で68%、町村部になると84%にも及んだ。
農家では、1日の汗と疲れを自家風呂で流すのが、当たり前の習慣になり、公衆浴場の利用者が多い都市部の住民でも、3人に1人は、1日おきにそこへ行く生活となった。
こうした「革命」が進行する中で、浴場が多様化する日本的な現象も生じた。
大浴場に演芸場などの娯楽設備をミックスした、いわゆるヘルスセンターが、30年に千葉県船橋市に初登場。
以後、風呂を中心とした都市型の大規模レジャー施設が続々と誕生してゆき、44年で全国に341ヵ所を数えるようになったという。
また、昭和33年の売春防止法で、「赤線」が廃止されたため、全国5万弱の業者の一部は、「トルコ風呂」、いまでいうソープランドへと逞しくもリニューアル。この特殊浴場は、47年で千軒をこえたのだ。
教育上好ましくないとして、各都道府県は、条例などをつくって規制してきたものの、売春と風呂を組み合わせたこの風俗ビジネスは、「日本の専売特許のような傑作」ともいわれ、家計簿には載らない「アングラ支出」を吸収し、ビッグビジネスを形成していったのである。
さらに、東京オリンピックが開催された39年前後には、サウナも急増。
48年で全国に2千軒を突破する勢いだった。
世界一の好浴国民といわれる日本特有の「お風呂産業」は、その後もカタチを変えながら成長してゆく。
(続)
※発行当時の原稿のまま掲載しております。何卒ご了承の程お願い申し上げます。
日常から介護まで 総合入浴情報サイト お風呂インフォ