『入浴福祉新聞 第32号』(平成2(1990)年8月10日発行)より
過去の入浴福祉新聞に掲載された記事をご紹介します。
発行当時の入浴や福祉等の状況を少しでもお届けできたら幸いです。
入浴の歴史ものがたり⑧
立井 宗興
江戸に町風呂が初めて誕生したのは、家康が江戸入りした1591年といわれている。
伊勢の商人=与市なる男が、いまの日銀本店のあるあたりに開業したのだが、それは、いわゆる蒸し風呂だったようだ。「熱いこと堪えがたし」といわれた“伊勢風呂”で、室の中の石を熱し、それに水をかけて湯気を立てる“高温サウナ系”の浴室である。
しかし、江戸の建築土木ラッシュで集められた作業員らに喜ばれ、これをきっかけに、蒸し風呂が各地にできてゆく。与市という男は、近世江戸の保健衛生の先駆者なのだが、同時に江戸っ子を熱湯好きにしてしまった張本人でもあったわけだ。
この点、京都を中心とした関西はちょっと事情が違う。
銭湯を中世に発達させたこの地方では、蒸し風呂はむしろ少なく、浴場に湯桶がある“洗湯”方式が優勢だった。
その関西方式を江戸の風呂屋が採り入れ、有名な“ざくろ口”が普及する。
これは、浴槽と洗い場の間に設ける、仕切りを兼ねた出入口のこと。奥の浴槽の熱蒸気が逃げるのを防ぐため、天井から板壁を思いっきり低く設けるものである。
人々は、その“ざくろ口”をくぐって浴室へ入り、下半身を湯にしたし、上半身を湯気で蒸した。
関西では、近世に入っても、蒸し風呂屋と洗湯屋が、区別されていた一方、江戸は中間型が普及した。
現在のような入浴方法に移行するのは、17世紀末とされている。
それでも、関西は五右衛門浴槽がメイン。江戸は、桶の中に鉄筒を立てて湯沸をする鉄砲浴槽が中心だった。
※発行当時の原稿のまま掲載しております。何卒ご了承の程お願い申し上げます。
日常から介護まで 総合入浴情報サイト お風呂インフォ