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2020 11.27
『諸国温泉効能鑑』など湯治場ガイドがたくさん出された江戸時代~『入浴福祉新聞 第109号』より~

 

『入浴福祉新聞 第109号』(平成21(2009)年7月1日発行)より

過去の入浴福祉新聞に掲載された記事をご紹介します。

発行当時の入浴や福祉等の状況を少しでもお届けできたら幸いです。

 

『諸国温泉効能鑑』など湯治場ガイドがたくさん出された江戸時代

[退屈ストレス]で心身不調の上級藩士は案内書を手に長期休暇

 

 

 

平和が続いた江戸時代は、都市部では地域コミュニティとしての公衆浴場文化が開花し、湯治も盛んに行われました。

また、[移動の自由]が厳しく制限されたとはいえ、〔お伊勢参り〕と〔温泉旅行〕は特別扱いで、江戸時代の人たちはよく旅をしました。

しかし、文筆に長けた人や絵心のある人も大勢、湯治に出かけたはずなのですが、温泉地の風情や泉質への感想や効能を、詳細に記録した史料は意外と少ないのだそうです。湯治にかこつけた〔息抜き〕を優先したためかも知れません。

とはいえ、江戸時代の〔健康管理〕を語る際には当時を抜きにしては語れないほど流行したのです。

全国の温泉を紹介するガイドブックもたくさん出されたといわれます。その1つが、『諸国温泉効能鑑』で、信州大学教育システム研究開発センターの山本英二氏が、「第7回健康文化研究助成論文~江戸時代の湯治及び湯治場に関する健康文化史的研究」(平成11年度)のなかで、この『諸国温泉鑑』を分析しています。

この史料は、東西の有名温泉の効能評価を、相撲の格付けのようにランク付けしたものです。ちなみに、西の大関は「有馬ノ湯」で効能は諸病、東の大関は「草津ノ湯」で効能は瘡毒と諸病、といった具合で、以下、関脇は「城ノ崎湯」「那須湯」、小結は「道後湯」「諏訪湯」、などなど全国96カ所の温泉と効能を一覧表にしているのです。

山本氏が分類集計したところ、この一覧表に登場する湯治場は東北が34カ所で圧倒的に多く、中部地方は14カ所、九州は12カ所でした。

また、効能で目立つのは、万病・諸病がトップで25カ所、次いで瘡毒と淋病すなわち性的感染症となり、3位は当時しつ・ひぜんと呼称していた疥癬です。このほか、打ち身、切り傷、眼病、婦人病、頭痛、中風、などが登場しています。

つまり江戸時代の人たちも、慢性的な身体不調をはじめ、性病や痛みの治癒を温泉に求めていたことが理解できます。

さて、前述したように、温泉旅行が盛んだったわりには、歴史的価値がある旅行記が少ないなかで、山本氏は水戸藩士だった小宮山楓軒が文政10年(1824年)に記述した『浴陸奥温泉記』に注目しました。

小宮山楓軒水戸藩のなかでも秀逸なインテリで、膨大な書物を残したことで知られているそうです。

その小宮山藩士も64歳になると、胸から背中にかけての痛みに苦しみ、かかりつけの藩医に薬を処方してもらっても、いっこうに改善せず、結局は湯治を勧められ、東北地方の温泉場に出かけることになりました。

旅立ち前のある日、偶然に見つけたのが温泉番付表の『諸国温泉効能鑑』で、小宮山藩士はこの案内書と3名の部下を引き連れて温泉めぐりとなったのです。

まずは磐城の湯本温泉…その次が川旅温泉…そして鳴子温泉…といった優雅な湯治旅行となりましたが、行く先々で温泉神社や温泉寺、薬師堂なども参拝することも忘れず、しかも、ここの湯は温度で快適…ここは熱くてとても長湯できない…大勢で同じ湯に入るのは気に入らなかった…硫黄の湯種が不快である…といった感想もしっかり書き留めました。

小宮山藩士が水戸に帰ったのは何と30日後で、実際に湯治をしたのは6日ほど。つまり、湯治を理由にしながら、長期休暇と物見遊山をたっぷりと楽しんだことになります。

毎日が平和な江戸時代の上級藩士ともなると、形式的な仕事や儀式に拘束されて、さぞ〔退屈ストレス〕が蓄積しただろうことは想像できます。小宮山藩士もおそらく、湯治旅行が精神的な面での救いになったはずです。

それにしても、地位によっては1ヶ月も休暇が取れた江戸時代は幸せな時代だったといわざるを得ませんし、時間に追われる毎日を送っている現代人は反省すべきようです。

 

 

※発行当時の原稿のまま掲載しております。何卒ご了承の程お願い申し上げます。

 

 

 

 

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