『入浴福祉新聞 第42号』(平成5(1993)年1月1日発行)より
過去の入浴福祉新聞に掲載された記事をご紹介します。
発行当時の入浴や福祉等の状況を少しでもお届けできたら幸いです。
入浴の歴史ものがたり⑱
立井 宗興
公衆浴場・内風呂・湯治場にほぼ限られていた日本人の入浴の場は、戦後、一世を風靡した温泉マーク旅館、トルコ風呂やサウナ、そして娯楽温泉へと多様化していった。
そのなかで興味深いのは、浴場法の規制を受けない温泉マーク旅館が、アベック寄せの営業戦略として、さまざまなアイディアにしのぎをけずったことだった。
香水風呂、ホルモン風呂、ガラス風呂、スポンジ風呂、ベッド風呂といった具合である。
いまでも、ラブホテルは、浴室の洒落た造作を売りものにするケースが多い。
これに刺激されて、娯楽風呂や家庭の浴室も、味わいのあるものにしてゆこう、と考えるようになった。
また、サウナは、肥満を防いだり、減量したり、ストレスを追放するなどの効用をPR。
日本人に、入浴を健康法としてとらえさせるキッカケをつくったともいえよう。
昭和41年には、気泡が発生する超音波バスが東京に登場。
疲労回復に効果があるとして、サウナや公衆浴場にも導入されてゆく。
市販の入浴剤が内風呂で使われるようになったのも、温泉気分を味わいたいとの理由もあるが、「入浴と健康」を考えるように、国民意識が変化したからである。
高度経済成長のなかで、都市部にも内風呂が急速に普及し始めるなか、浴槽の素材革命も起こった。
従来のような木製やタイルだけでなく、ポリエステル、ポリプロピレン、ほうろう製など多様化。
そして、熱や衝撃に強く、汚れや傷が付きにくいFRP(ガラス繊維強化プラスチック)が他を圧倒してゆく。
昭和43年当時で、FRP製の浴槽は40万個も売れ、浴販売総数の18%も占めるようになった。
むろん内風呂が普及したからといって、温泉地がすたれたわけではない。
ますます繁盛して、昭和44年には、全国にある約1600の温泉地の宿泊客は年間1億人を突破。
と同時に、ほとんど歓楽施設と化した温泉を見直す動きが出てくる。
(続)
※発行当時の原稿のまま掲載しております。何卒ご了承の程お願い申し上げます。
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