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2018 11.16
入浴の歴史ものがたり⑨~『入浴福祉新聞 第33号』より~

 

入浴福祉新聞 第33号』(平成2(1990)年12月5日発行)より

過去の入浴福祉新聞に掲載された記事をご紹介します。

発行当時の入浴や福祉等の状況を少しでもお届けできたら幸いです。

 

 

入浴の歴史ものがたり⑨

立井 宗興

 

 

近世に自家風呂もかなり普及した関西と違って、江戸は、風呂といえば町湯だった。

江戸の文化が銭湯と切り離せないのは、そのためである。

 

身分の上下・貧富の差なく、人々は銭湯に集まり、町の情報を交換し合い、幕府や芸人のスキャンダルを放しのタネにした。まさに、コミュニティセンターそのものだったのである。

 

人と人の交流は文化を生む。風呂美人を活写した浮世絵、式亭三馬の『浮世風呂』、『女湯で世上の垢をこすり合い』『名が売れて我慢し通す熱湯好き』といった江戸川柳などなど。風呂が芸術をかもし出していった。

 

古来から日本では混浴が当たり前で、この開放的な感覚が江戸の湯女という職業も生んでいる。

湯女は、奈良時代に始まった施浴の僧=湯稚那が変じた言葉だが、平安時代から中世にかけて、野に下った巫女の末裔が、温泉地や貴族の自家風呂で接待するようになったのがルーツといわれている。

それが江戸の銭湯にも出現したわけである。

 

 

湯女のいる風呂屋の方が、当然人気が出る。あまりにも増えたため、江戸町奉行は、17世紀中頃、湯女制限や湯女禁止令出したほどである。

しかし、男女入り込み湯=混浴が禁止されたのは、18世紀末。儒教精神を重んじた松平定信の寛政の改革によってであった。

 

 

 

※発行当時の原稿のまま掲載しております。何卒ご了承の程お願い申し上げます。

 

 

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