『入浴福祉新聞 第91号』(平成17(2005)年2月1日発行)より
過去の入浴福祉新聞に掲載された記事をご紹介します。
発行当時の入浴や福祉等の状況を少しでもお届けできたら幸いです。
[癒し]と[傾聴]が介護福祉の質をさらに高めるキーワード
もっと生かしたい入浴の利点
最近、「癒し」という言葉が頻繁に使われるようになった。一気に普及した携帯電話やパソコンによるメールは、ビジネス利用を凌いでいるのは、人口の都市集中のなかで、ますます孤立無援化する人々の「癒し」行為と解釈する識者もいる。
人々は「癒し」を求めて、海外旅行や温泉に出かけ、音楽を聴き、ペットと戯れ、水中運動をしたり、いい香りに酔いしれ、ギャンブルにうつつを抜かす。てれびでゲラゲラ番組が目立つようになったのも、「癒し」を求めているからだろう。
では何故、現代の日本人は、癒しを過激に追い求めるようになったのか?
『佛教大学大学院紀要』第32号(2004年3月発行)で、同大学院博士課程の今西康裕氏が、「教育・看護・福祉を結ぶキーワードとしての癒しが意味するもの」と題して、「苦」との関連で鋭い指摘をしている。
[癒しの蔓延]は、[苦の増大]の裏返しで、自然環境破壊と日常生活の不安…極楽神話の崩壊による死への恐怖への高まり…科学技術の発達による孤独への焦燥…といった精神状況が基底にあるという。
[現代の高齢者]という存在に限定しても、経験が醸成してくれた知恵は不要となり…高度な通信技術社会に付いてゆけず…肉体の衰えは効率最優先の社会のなかでは邪魔者扱いをされる…などで、この世は「苦」に満ち満ちた社会なのである。
そのためなおさら、医療や福祉は、単なる技術提供だけでなく、「癒し」をキーワードにしたサービスを意識する必要があるのだが、何が「苦」なのかは一人ひとり異なるし、その程度にも落差がある。
となると、専門家は医療や福祉を受ける人の「苦」の内容と程度を、しっかりと見極めることが大切になってくる。
そして、[癒す側]と[癒される側]の究極的な共感的理解は不可能としても、「苦」を分担して「共生」してくれている、との感覚を与えることで、「癒し」を必要としている人の[治癒力]が浮上し促進される、と強調している。
入浴介護も、こうした「癒し」の意味が、大きな比重を占めているはず。利用者の「苦」を真摯に探りながら、業務ができたら最高だろう。
ところで、「癒し」の一つとして最近は、「傾聴」に着目する医療や福祉の専門家もしだいに増えてきた。
残念ながら、医療でも福祉でも、この「傾聴」は保険報酬のなかに組み込まれていないため、ボランティアで行われているケースがほとんどだ。
この「傾聴」については、東海大学の村田久行氏が、『社会福祉実践理論研究』第7号(1998年6月発行)に、「対人援助における聴くことの意味~傾聴ボランティアの実践から」を寄稿していて、たいへん参考になった。
村田氏は、「傾聴」で大切なのは、最後まで思いやりをもって真剣に聴く…相手の語ること、とりわけ核心のメッセージをしっかり受け止める…自分が共感して受け取ったこと、とりわけ核心のメッセージを相手に誠実に伝える…などだという。
医療や福祉の利用者の訴えに、心底から耳を傾ければ。利用者は心をひらき、心身の苦痛も和らぐ。聴く側の対応しだいでは、混乱や不安は鎮静され、自分の人生は価値あるものだ、との転換さえもたらす。
入浴介護の効用として、「押し黙っていた利用者が、よく話をするようになった」といったことがある。
入浴の利点を最大限に生かし、利用者の訴えをしっかりと傾聴しながら、素晴らしいサービスに高めたいものである。
※発行当時の原稿をそのまま掲載しております。何卒ご了承の程お願い申し上げます。