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2019 03.22
困惑している間に21世紀はやって来る~『入浴福祉新聞 第54号』より~
 従事者向け

 

『入浴福祉新聞 第54号』(平成8(1996)年1月1日発行)より

過去の入浴福祉新聞に掲載された記事をご紹介します。

発行当時の入浴や福祉等の状況を少しでもお届けできたら幸いです。

 

 

困惑している間に21世紀はやって来る 「この国に生まれた不幸」で済むのだろうか

保健福祉計画の達成は悲観論が支配的で… 介護サービス供給体制の地域格差は激しく

 

 

★妄想に浮かれたツケが★

個人でも集団でも、とりわけオトコは、中年期になると〔妄想〕をいだくといわれる。〔青年期の頼りなさや不安、そして苦難を乗り越え、かなりのトコロまできたつもりの過信〕が、そうさせるのだ。

しかし、その〔妄想〕が〔妄想〕で終わったあとがタイヘン。いっきに〔老い〕が襲ってくる。

 

〔オトコ社会〕の日本で起きた〔バブル経済〕は、この〔中年期の妄想〕に似ている。

「ワシももっとリッチになれそうだ」と、まるでマインドコントロールされた夢遊病者のごとく、バクチに狂奔した挙げ句が、金融機関の破綻と、借金中毒でボロボロになった国家財政、という現実だ。そのツケは、すべて弱者にまわされる。

 

バブル経済時代は、21世紀の超高齢化社会に向けて本格的な準備をすべき時代だったはずで、カネ儲けの幻想に踊り狂っている時間的余裕はなかったはずなのだ。

突如として登場した「公的介護保険構想」をめぐる議論に、マスコミなどで接すると、そんな感慨をもつ福祉関係者が多いのではないだろうか。

 

★国民は議論のカヤの外★

しかし、総理府がこの12月に発表した『高齢者介護に関する世論調査』によると、「介護費用を本人や家族だけが負担するのは大変」として、「公的介護保険の創設」に82%が賛成しているものの、「実際にそれが検討されていることなど知らない」と答えた人が、ナント71%に達したという。驚くべき数字である。

〔情報化時代〕などといわれるが、現実は〔通信技術〕が発達しただけで、国民の多くに国の方針が認知されていないのだ。これではおそらく、2000年までに整備すべき『高齢者保健福祉推進計画』の改訂版『新ゴールドプラン』など、ほとんどの国民が知らないに違いない。

 

この『高齢者保健福祉推進計画』については昨年、国民健康保険中央会と日本弁護士連合会が、アンケート結果を発表している。

前者は、山形・滋賀・香川3県内6地域の市町村長や医師会長、病院長や特養の施設長、保健婦、などに答えてもらったという。その結果、現実を熟知している保健婦の実に約8割が「計画の達成は困難」と見ていたのである。

その理由として、人材不足…予算不足…市町村長の意欲不足…などを指摘する保健婦が多かったそうだ。

〔ヒトもカネもココロも不足していて、保健福祉の充実は夢ものがたり〕というわけだ。

 

後者の調査は、全国166の市区町村を対象に行われたが、「2000年までに計画を実現できる」との自信を示したのは27%の市町村で、7割以上が「ムリだよ」と答えたと聞く。理由はやはり、〔財政難と人手不足〕である。

 

 

★住む街によってバラバラ★

日本弁護士連合会の調査では、かなり前から指摘されてきた〔福祉制度の激しすぎる地域格差〕や〔対策の遅れ〕も浮き彫りにされた。

高齢者1人に対してホームヘルパーが何人いるか、といった〔ホームヘルパーの人口割合〕は、自治体によって150倍もの開きがあり…デイサービス施設が中心部にあるのは18%で、都市部ではたったの5%…しかも33%の市町村では週に1回しか利用できない…特養の入所は5割以上の市区町村が半年は待たされ、2年以上も待機する自治体も4%…などなど。

 

この〔地域格差〕の問題は、1992年に制度化された「訪問看護ステーション」でも、すでに極端になってきた。

政令指定都市、人口30万人未満の市、人口30万人以上の市などは、65歳以上の高齢者10万人当たりそれぞれ3.2、3.5、3.6ヵ所の訪問看護ステーションができているそうだが、郡部では平均1.4ヵ所しかない、という。

 

都道府県単位で比較すると、人口あたりの設置率は、すでに10倍もの開きができた、との調査結果もあり、昨年の夏までに全国に893ヵ所が誕生してはいるものの、『新ゴールドプラン』が掲げた全国5,000ヵ所の整備計画は、早くも絶望視されている。

 

訪問入浴介護の分野でも地域格差は大きく、一週間に2回も受けられる自治体から、いまだに着手していないところまで、ピンからキリまでの実態になってしまった。

 

 

★改善されない介護の質★

バブル経済の崩壊によって、隠されてきた“汚臭”が続々と噴出し、高齢者福祉に関しても、いい話がほとんど聞かれなくなったような気がする。

いまだに入居者の人権が尊重されていない施設福祉の話…施設への入所や訪問サービスを拒絶されるMRSA患者…特養に入居できないため、病院に収容される要介護高齢者…付添い制度の廃止によって生じてきた、“厄介”な高齢患者の退院勧告やタライ回し…などなど、あげていったらきりがないくらいだ。

 

そのなかで、高齢者は毎年増加し、介護や医療を必要とする絶対数も増え続けているわけだ。

昨年の9月に総務庁が発表した『老人意識調査』では、将来を楽観視してはいるが、「自分は介護が必要になるのでは」と、健康面での不安をいだいている高齢者がおよそ半数もいた。

 

 

★最期を大切にする思想を★

さて、高齢化のスピードに比例して、遅々としている福祉対策のなかで、財源的な課題を解決すべく、「公的介護保険構想」が登場した。

この構想は、医療保険制度の将来に暗雲が立ち込めてきたために登場した、ともいわれる。

要介護高齢者の長期入院による出費が莫大になり、老人医療費はすでに全体で年間8兆円に膨張。国民医療費に占める割合も31%に達しているという。

 

しかし、この「介護保険構想」に対しては、「要介護高齢者への処遇は、そう単純に医療と介護を分離できないわけで、そのために医療と福祉の統合を大合唱したのではないか。それなのになぜ、保険は2本立てになるのか」といった素朴な疑問を投げかける人も少なくない。そして一歩譲って、介護保険の発想自体には賛成するものの、問題が山積し過ぎていて、早急に導入すべきではない、という意見も多いようだ。

 

もっとも重要な点は、たとえ保険料を支払っても、現在そして近い将来に予想できる〔貧弱な介護サービスの供給体制〕では、実際の介護が期待できない現実が目に見えている…結局は、介護手当てのような現金給付というのか、保険料の還付というのか、介護不可能を埋め合わせる慰謝料というのか、現金で我慢してもらおうというケースが多くなるのは必至…

 

その結果、介護の量的な拡大努力はなおざりにされるだろう…寝たきりや虚弱そして痴呆の高齢者が現金を支給されてもまったく意味がなく、ヒドイ話を想像すると、家族が“慰謝料”をもらって、高齢者を虐待する、といった恐れるべき風景も出現しかねない…などの危惧が払拭できないのである。

 

ともあれ、30年後の2025年には、要介護高齢者が現在の2.6倍になる。この日本という国はいったい、どこへ行こうとしているのだろう。

 

元気なころにいくらいい思いをしても、最期が辛く悲しく寂しいものでは、いい思いも帳消しとなる。突き詰めれば、高齢者福祉とは、「ああーいい人生だったナー」との感慨をみんながいだけるよう、隣人と共生してゆく思想を制度化することなのだ。

 

〔この国に生まれたことの不幸〕と虚無的につぶやけば、済むのだろうか。

 

〔時〕は待ってくれない。

もたついていうるちに、21世紀はアッという間にやって来て、2025年を迎えてしまう。

 

※発行当時の原稿をそのまま掲載しております。何卒ご了承の程お願い申し上げます。

 

 

 

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