『入浴福祉新聞 第95号』(平成18(2006)年2月20日発行)より
過去の入浴福祉新聞に掲載された記事をご紹介します。
発行当時の入浴や福祉等の状況を少しでもお届けできたら幸いです。
「利用者に〔健康的な死〕を迎えていただくため
ターミナル期の入浴介護に積極的な姿勢を!
日本ではいま、1年間に約110万人が死亡します。長命化社会を反映して、約80%が65歳以上です。この事実に、私たちはもっと関心を寄せるべきです。
70年・・・80年・・・さらに90年・・・といった長い歳月を生きてきて死を迎える〔素晴らしい時代〕になったわけです。
「死に向かってゆく時期にお世話をしている」との考えを、もっと介護の世界に導入しよう、と最近では〔ターミナルケア〕が盛んに議論されるようになってきました。これまで伝えられてきた〔末期ガンとホスピス〕のような捉え方ではなく、〔人生の終末期にある方々の臨終期〕にどんな介護を提供すべきか?といった議論です。
現在でも、日本人の多くは病院で死亡しますが、特別養護老人ホームに限ってみますと、従来のような〔臨終期は病院送り〕は激減して、特養の職員に看取られて死亡する入居者が、全国平均で5割近くになってきました。
特養の入居者も、入退院を繰り返してきたはずですし、臨終期になったら、「もう病院はいい・・・住み慣れたホームで死なせてくれ」というのが本人や家族の強い希望になってきたためでもあります。
特養の〔看取り施設化〕はこれからさらに進むはずですし、住宅高齢者の看取りをどうするか?もこれから大きな課題になってゆくはずです。
近年は日本の医療現場でも、ターミナルの研究が深まり。統計的な集積もあって、平均すると約1~3ヶ月が〔死を迎える期間〕とされるようになりました。食事量の激減などで、だいたい余命も推測できるようになってきました。
では、この期間の入浴はどうするのでしょう。医学的な観点から、入浴不可とするのでしょうか。週に数回の入浴介護を受けてきた利用者にとって、それはあまりに残酷すぎます。
この点に関して、看護学者の金井一薫さんが名著『ナイチンゲール看護論・入門』(現代社白鳳選書/1993年刊)で、まさに目からウロコのような指摘をされていますので紹介しましょう。
「ターミナルを迎えた老婦人が、死期を早めてもいいから、お風呂に入って身体をきれいにしてお迎えを待ちたい、と希望したとします。こうした場合の看護判断は、きわめて難しいと言わなくてはなりませんが、日本人の入浴は禊ぎの意味をもっていますから、医学的にみて危険がない限り、また同時に看護的な入浴技術がしっかりしていれば、ぜひとも実現の方向で考えたいテーマです。
入浴が実現できれば、その老婦人は、身体的精神的なイライラから解放されて、かなり安らかな気持ちで死を迎えることができるに違いなく、反対に自らの申し出を拒否されてイライラしたり、悲しい思いを抱いて、小さくなった生命力をさらに消耗させて末期を迎えるより、はるかにそれが生命体にとってプラスになる援助に違いないからです。
また、全身入浴は結構の流れを促進し、体内の回復過程を助けて、身体内部のバランスをとるのに役立つことが多く、生命過程も整えられ、より健康的な死(身体の各器官がバランスよく衰えてゆく、より自然死に近い死への過程)へと導かれてゆくと考えられます」
10年以上も前に、〔入浴による健康的な死〕といった概念を提示していた方がいたのも驚きですが、これからは〔臨終期の入浴〕を希望する利用者や家族が多くなるはずです。
この場合でも、主治医の無理解が大きな障壁とならないよう、日頃からターミナル期の入浴について、毅然と伝えておきたいものです。
※発行当時の原稿をそのまま掲載しております。何卒ご了承の程お願い申し上げます。