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2022 06.24
お湯で明日への希望を育み続けた歴史 後編~『入浴福祉新聞 第133号』より~

『入浴福祉新聞 第133号』(平成27(2015)年7月1日号)より

過去の入浴福祉新聞に掲載された記事をご紹介します。

発行当時の入浴や福祉等の状況を少しでもお届けできたら幸いです。

 

日本人と入浴

お湯で明日への希望を育み続けた歴史 後編

そして世界に誇れる文化を築く

前編はこちら

 

江戸時代に入ると、すでに京都の街を中心に誕生していた、公衆浴場(銭湯)が、江戸に広まります。江戸への人口流入と隆盛を極める土木建築事業を背景に、一日の仕事疲れと、埃と汗を流す不可欠なサービス業が開花しました、

江戸の公衆浴場は、老若男女が集い、まさに裸の付き合いができる地域コミュニティ施設へと発展し、住民の噂話や近況報告、幕府批判などが飛び交う情報文化的施設でもありました。

徳川家康が温泉を好んだ影響もあり、江戸時代には湯治が、医療の重要な柱にもなりました。ところが江戸時代に開花した湯治という温泉療法は、明治維新期からの「西洋医学主義」によって、亜流とされてしまい研究が停滞してしまいます。

幕末から明治にかけて来日した外国人が奇異に感じたのは、日本人の混浴習慣だけでなく、高温湯と長時間入浴でした。脱亜入欧をスローガンにした明治政府は、混浴こそ禁止しましたが、まだまだ暖房は贅沢習慣で、高温入浴習慣は是正されませんでした。

この、よろしくない習慣がいまでも残り、入浴による事故が絶えません。この日本入浴史の陰の部分は、終わりにしたいものです。

近代化と工業化を国策として、明治・大正・昭和と移り変わるなかで、人口の都市集中と新しい街づくりが進められ、公衆浴場も増加しました。新興の街の中心部には、商店と公衆浴場がセットで存在するのが、日本の地域形成の特色と言われます。

第二次世界大戦後、心身ともに疲弊したはずの日本人は、諸外国が仰天するほど、奇跡的な復興に成功します。まだまだ貧しい時代のなかで「明日への希望」を生み出したのが、イモを洗うごとく混雑した公衆浴場だった、と外国の文化人類学者が注目したほど、入浴は新しい時代の日常生活習慣リズムを与え、心身の癒しにも大きな役割を果たしたのです。

そして高度経済成長のなかで、内風呂を持つことと同時に公衆浴場が減って行くのですが、新しい浴場は、各種の浴槽があるテーマパークのようなスーパー銭湯に発展し、温泉地は景観はもとより、自慢の浴室や浴槽、彩り豊かな料理など「日本のおもてなし」を代表する程までになっています。

入浴が欠かせない日本人の生活は、これからもおそらく変わらないでしょう。

歴史を振り返りますと、時代の節目ごとに日本人は入浴の効用に着目し、苦難を克服してきたと言えるのではないでしょうか。

「日本人には風呂がある!」と生きる勇気を得る知恵を獲得した民族と言えましょう。

 

 

※発行当時の原稿をそのまま掲載しております。何卒ご了承の程お願い申し上げます。

 

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