2017年5月29日付の読売新聞に掲載された読者からの投稿に、考えさせる内容の記事がありました。
「96歳の父 介護続けたい」 65歳 女性
母を3年前に亡くした。10年近く自宅で介護し、その後1年ほど施設にお願いした。 正直、ほっとした気持ちと、後ろめたい気持ちが半々だった。母の死は施設からの電話で知った。 死に目には会えず、母は一人で亡くなったと思うと、かわいそうでたまらない。
今、96歳の父と暮らしている。母と違って認知症ではないが、要介護2で、時々、トイレで粗相をしてしまう。 けれど私はビクともしない。夫と協力して掃除し、父を風呂に入れ、下着を洗う。 汚してしまった事を恥じて小さくなっている父に、「大丈夫。洗えばすっきりよ」と声をかける。
母への後悔の念があるので、父とは、これから先もずっと一緒に暮らしたいと思う。 父の存在は私の生きる糧となっている。
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自宅でお父様を最後まで看取る投稿者の決意が述べられており、迷いのないその文章からは清々しさすら感じます。
しかし同時に、認知症のお母さまが施設へ入所された際には正直ほっとしたと仰られていて、介護の過酷さも読みとる事が出来ます。
在宅で看取るか、施設に入るのか。
このテーマを考える時、往々にして在宅で介護をすること、在宅で看取ることが崇高で美しいものとして扱われがちですが、この2択に絶対の正解は無く、ご本人やご家族が最後に何を感じられるかが大切なのだと思います。
在宅での介護は、実際にされている方にしか分からない厳しさもあり、安易に美談で片づけてはいけないと改めて感じさせられました。
この記事の投稿者は、それでもお父様を在宅で介護していく選択をされました。
介護を乗り越えてご本人、ご家族が、良い選択だったと思えることを願ってやみません。
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