『入浴福祉新聞 第24号』(昭和63(1988)年9月15日発行)より
過去の入浴福祉新聞に掲載された記事をご紹介します。
発行当時の入浴や福祉等の状況を少しでもお届けできたら幸いです。
山田翁の笑顔と涙と短歌が私の支え
千葉県船橋市 光花苑 入浴ヘルパー 上原 富美子
私が船橋市のホームヘルパーとして山田無雅吼さん(本名・長次郎)を訪問したのは、
昭和56年秋のことでした。
山田家は八百屋さんを自営していて、本人81歳、奥様76歳、それに長男夫婦と
その子供の4人暮らしでした。
しかし長次郎さんはスモン病で11年間も寝たきり生活。
奥様も体調がすぐれず、お嫁さんは膠原病で入院中でした。
そのため旦那様は、お店の仕事と家事と介護をしなければならない毎日でした。
そこで私が週1回お伺いすることになったのですが、ショックだったのは、
山田さんが寝込んで以来1回も入浴していないことだったのです。
何度か訪問するうちに私は、山田さんをお風呂に入れてさしあげたら、どんなに喜ぶだろう…
と思うようになり、それを訊くと、やはり「一度でいいから入りたい」と言うのでした。
この一言がきっかけで、私は57年3月に、約2年半勤めた一般ヘルパーを辞めてしまい、
翌月から豊寿園の入浴ヘルパー見習になったのです。
身勝手な転職でしたが、「入浴をさせてあげたいからなの」との説明に長次郎さんも納得してくれました。
そして5月、山田さんが入浴できることになりました。
私は自分のことのように、胸をときめかしたことを今でも覚えています。
念願がかなった山田さんは、浴室で大声を出して笑い、ぼろぼろと涙を流してくれました。
惜しくも山田さんは58年6月7日に他界しましたが、
私が今日まで6年以上も入浴介護に従事してきたのも、山田さんの感激ぶりに接したからです。
私は2歳のとき、父を亡くしています。もし生きていたら…と想いつつ、
山田さんの笑顔と涙と短歌を心の支えにして、
これからも一人でも多くの方々の入浴をお手伝いしてゆく覚悟です。
「給湯は八十路過ぎても童心の 昔懐かし御袋の味」。
無雅吼さんが私にくれた色紙に詠まれていた歌です。
※発行当時の原稿をそのまま掲載しております。何卒ご了承の程お願い申し上げます。
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